・ツリガネニンジン・ヤマラッキョウ・ボクチ・サラシナショウマ・キバナアキギリ・オオバギボウシ・アキチョウジ
NO.27
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▲「・・歳時記」索引
+歳時記(・鳴かないはずのものが鳴く・個人情報と自然情報ほか)
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[上の写真]左から
・ヤマラッキョウ ・ボクチ ・サラシナショウマ ・キバナアキギリ ・アキチョウジ
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秋の色 阿佐山を望見。2005年10月も半ばを過ぎました。 例年より、半月ぐらい、秋が遅いと感じています。好天がつづき、気温も下がりません。 それでも、クサが紅葉しはじめました。草紅葉・・。 阿佐山と丘 まだ、丘の草木も青々としています。 米はやや豊作という作況指数でしたが、この地では「よく出来た」とのこと。 台風被害も、昨2004年があまりにもひどかったので、今年はいままでのところ大きな被害はありません。 ツリガネニンジン 晩夏から秋にかけて、山野の草むらに乱れ咲きます。 小さな花の形が釣り鐘に似て、根がニンジンの形に似るキキョウ科の多年草。 若芽をトトキと呼んで食用にするといいます。 食べられる植物は実に多いのですが、昔の人はよくもたくさんの知識をもっていたものだといつも感心します。 毒草も多いので、山野草は安易に食べない方がいいと思いますが・・。それは、食料が豊富な現在でこそ簡単に言えることでもあります。 ヤマラッキョウ この秋は、ヤマラッキョウの花がよく目に止まります。というよりも、草木の花や実がじつに多い年なのです。 秋に入っても、好天がつづき、山里の野を楽しむには恵まれました。 ボクチ ![]() ボクチは、火口(ほくち)のことで、このあと綿毛をつけますが、これを「ひうちいし」から火を移しとるためつかわれたことが名の由来のようです。 オケラと似ているため、間違っていました。 高嶺にて高嶺仰ぐや螻蛄がなく(加藤知世子) みみず鳴く日記はいつか懺悔録(上田五千石) ![]() サラシナショウマ その美しさに、はっと驚きます。 キンポウゲ科。晒菜升麻と書きます。 若い芽をゆでて水に晒して食べるから、晒菜(さらしな)。根茎を升麻(しょうま)と呼んで薬用にしたとものの本にありました。 今年の花穂(かすい)には、花がみっしりとついています。これは例外的かもしれません。 沢の斜面やあちこちに咲いていましたが、乱掘を免れてきたものかも知れません。 キバナアキギリ しそ科アキギリ属。花の形が桐の花に似ていることから名がつけられたようです。 秋、はやく咲き、いまは、終わりに近く残ったガクもまたなかなかいいのです。(下の写真) ![]() アキチョウジ キバナアキギリのちょっとあと、ほとんど同じ環境で、やや木陰に咲いています。場所や時間などで色合いが少し変わりますが、山野草には珍しいことではありません。 別名キリツボ。シソ科です。 本州岐阜県から西、九州北部に分布するといいます。 オオバギボウシ ぎぼうしに、私の先輩で愛好家があり、さまざまな種類があることを教えられたことがあります。そういう「趣味」があるとは知りませんでした。 園芸品種は多いのではないでしょうか。 ふつう、夏の花とされますが、この地では秋まで咲きます。 ![]() (上の写真)オオバギボウシ コバギボウシとともにユリ科ギボウシ属。芽吹きを食用にするといいます。 「大(小)葉擬宝珠」と書きますが、これは、芽吹きの姿、蕾の形が、橋の欄干によく飾られている「ぎぼうし」に似たところからつけられたようです。 谷川のそば、日当たりのいい場所に咲いていました。 .......................................................... 付記 「ふるさとの小さな丘と山郷の自然と暮らし」 という、ながったらしいサブタイトルは「なし」にしました。 ちょっと捨てがたいものがあるのですが、やはり、くどくていけません。 ただ、「この丘」が極私的歳時記の拠点であることに変わりはありません。 下に、この間、私が考え、これらのページ編集のスタンスとしたことなど書き加えてみましたので、ぜひ、お読み下さい。(+歳時記) |
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+歳時記
鳴かないはずのものが鳴く
オケラには、同じ名の昆虫がいます。直翅目のケラ。螻蛄と書き、「みみず鳴く」という季語は、本当は螻蛄が鳴くのだと言われます。田舎の道沿いの草むらなどで、ジージーと、かなり大きくやかましい声で鳴きます。
俳句では、これを(半分本気で)蚯蚓(みみず)が鳴く、と言うのです。
螻蛄(けら)鳴くも同じ秋の季語です。
螻蛄鳴く
オケラに触れましたので、ついでというか、この機会に、俳句の面白いアバウトさにふれておきます。
まず
亀鳴く(春)
です。
こんにちでは、亀は発声器も共鳴器もないから鳴かない、と言われますが、実は鳴く、というVTRがあるTV番組で放映されました。交尾中に♂がくぐもった声?で鳴くのです。それを見て私も考え直したものです。
裏がへる亀思ふべし鳴けるなり(石川桂郎)
裏返った亀は苦しさで鳴くかもしれません。
近年、田舎にはどこでも見かけたクサ亀をめったに見かけなくなりました。
蓑虫鳴く(秋)みのむし
蓑虫が鳴いたとは、話にも聞いたことがありません。ふつうは、鳴かないものとされています。
蓑虫だけでも秋の季語で、蓑虫鳴くも同じく秋。別名は「鬼の子」。
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(芭蕉)
芭蕉にはアバウトな句がけっこうあります。
+歳時記
個人情報とともに「自然情報」を守る
歳時記と個人情報
この「私の歳時記」の写真が、ほとんど、民家や人の姿が映っていないものに終始していることにはお気づきと思います。
「田舎」に住んで、インターネットに写真公開する場合、民家もすぐに特定される危険を肌身で感じます。顔写真はもちろん、それとわかる人物像、民家も個人情報として安易に公開することはできないと考えています。
そのため、やや開放感に欠けますが、これは当然の成り行きと思っていただき、ご理解下さい。
「自然情報」?!
植物観察をするとき、深く注意する必要があることはご存知のとおりです。
たとえば、あるジュニア向けの本(『草花のふしぎ世界探検』ピッキオ編著・岩波ジュニア新書*)は、おもに次のことをあげています。私なりにまとめてみますと、
(1)野生の植物をもち帰らない。
(2)珍しい花などをみつけたとき、みだりにその場所を公表しない。
(3)撮影などするとき、花を踏みつけたりして自然を傷めない。
要するに、草花やその環境に悪影響を与えない、ということです。
とくに、安易に場所を特定しないことは、現在、多くの山野草が絶滅の危機に瀕している事情を知れば、必須のことではないでしょうか。
「私の歳時記」は、いわば定点観察ですから、とくに地名などの固有名詞は注意深く避けています。
「この丘」は、特定できても、草花のありかはちょっとやそっとではわからないと思います。私は、この歳時記にもし興味をもたれたら、その方が「自分の丘」(別に「丘」でなくてもいいわけですが)を「持って」いただきたいと願います。いや、そんなことまで考えず、気楽に読み流してくだされば、それでも自然と季節の気分は伝わるのではないかと期待しているだけです。
あしからずご容赦ください。
*『草花のふしぎ世界探検』ピッキオ編著。この本は、この春(2005.3)発刊されたものですが、とても参考になります。
難しい図鑑も欠かせませんが、それは膨大精緻なもので、私のような素人には少年向けのガイドブックなどの方がありがたい場合が多いのです。いわゆる「学習図鑑」関係も便利です。
なお、高価な図鑑類は図書館の蔵書を利用しています。
「歳時記」としては
歳時記はもっとアバウトでいいでしょう。
しかし、ここでは、内容をほぼ自然に限り、自然のこまかなところをみたいというモチーフなので、俳句には必要ないこともとりあげています。
このことで、自然が持つ季節の気分とでもいえるものを感じ取りたいのです。
私には、それ以上の余裕も時間もありません。「いま、このとき」を逃したら、さきざき再びのチャンスはないものと思い込んでいるからです。
「けものみち」
里山でもちょっと注意深く見るといわゆる「けものみち」に出会います。
人間が、いや、私が、草原の同じ場所に通うところでは10回も歩けば、もうしっかりとした「みち」ができてしまいます。そのことは避けられないのですが、立ち入る場所を傷めたために草花の環境に悪影響を及ぼす恐れが、ごくかんたんに起きてしまうことを忘れたくありません。
△けものみち(「いのしし」道と思われる)
他方、里山は、人手が加わることで、その独特の環境が維持されてきたのでもあります。
いま、とくに農業の変化によって、草が刈られる範囲が狭まり、山林の利用が激減したために、山は荒れ放題になっています。これは生活の変化に伴う避けがたい流れです。
しかし、自然への興味と関心が薄らぐことは、人間にとって最大のピンチにつながるのではないでしょうか。
「国破れて山河あり」と悠長なことを言って自然を甘く見ないことが必要です。世界各地の戦乱場所は、とくに兵器の破壊性が強まって以来、人間によって山河が徹底的に破壊された姿をしめしています。そこでは、人間が生きていけない状況になってしまう例が多いと思われます。(2005.10.15記)
里山保全
なお里山保全、里山ウォッチングのガイドとしては、同じジュニア新書『里山を歩こう』今森光彦著が手ごろです。
「プラス歳時記」-この項つづく-