秋の野(・コスモス・ミズヒキ・イヌタデ・タムラソウ・キンエノコロ・エノコロ・チカラシバ)
NO.26
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コスモス(秋桜) 秋の人里から野山を歩くとき、いまでは欠かせない存在がコスモスです。 原産地はメキシコで、コスモスとはギリシャ語の「宇宙」などの意。明治の中期に渡来したと言われています。 わずか1世紀ですっかり日本列島に根付いたのです。 和名は「秋桜・あきざくら」です。この名の通り、コスモスの咲かない秋はもはや考えられません。 コスモスを離れし蝶に渓深し(水原秋桜子)*渓(たに) 作者の「秋桜子」は「しゅうおうし」と読みます。コスモスの和名を名乗っているのです。 ミズヒキ(水引草) 水引とは、祝儀袋などに使う紙の飾り紐。その水引に似ているところからこう呼ばれます。 俳句では、単に水引として秋の季語。 「水引の花」また「水引草」とも。 水引の花が暮るればともす庵(村上鬼城)*庵(いお) イヌタデ(犬蓼)・赤のまんま 蓼の花、赤のまま、赤まんまとも呼びます。 ボントクタデ、サクラ蓼、大犬蓼など種類は多いのですが、「蓼食う虫も好きずき」の辛みを食用とするのは柳蓼(やなぎたで)です。犬蓼の葉には辛味がないといいます。しかし、蓼は葉ではなく芽吹いたばかりの小さな全草を食べるので、私は犬蓼も芽は辛いと思い込んでいました。調べることにします。安東が指摘するように、薩摩蓼(サツマタデ)かも知れません。 俳句では、これらを総称して蓼(の花)とします。 長雨のふるだけ降るやあかのまま(中村汀女) 穂蓼(ほたで) 芭蕉に次の句があります。 草の戸をしれや穂蓼に唐がらし(松尾芭蕉)『笈の日記』 草の庵に、夏炉冬扇=無用の暮らしをする俳諧師のせめてもの辛味を示したのでしょうか。 この句、西行の 〈紅の色なりながら蓼の穂の辛しや人の眼にも立てイねば〉 を思い出しながら詠んだに違ない・・と安東次男は書いています。芭蕉は蓼を好んだのだろう、と。 〈我が屋戸の穂蓼古幹(ふるから)摘み生ほし実になるまでに君をし待たむ〉『万葉集』 薬味のタデを古くから穂蓼として好んだことがわかります。 キンエノコロ エノコログサと言っても、主に、エノコロ草とキンエノコロ、アキノエノコログサがあることを今にして知りました。手ごろな図鑑にはそこまで書かれていません。 写真(上)は、キンエノコロ。(下)は、おそらくアキノエノコログサです。物の本によれば、エノコログサ属に7種類あるようです。 一茎の金の繊さよ猫じゃらし(山口青邨) 知って読むと、この句は「キンエノコロ」を詠んだものと分かります。 タウコギ ![]() ヒツジ田に、タウコギが見えます。田五加木と書き、キク科センダングサ属。 ひつじ田は写真のように、刈田の稲が、新しく芽を出し茎を伸ばした田圃です。小さな株に稲穂がつくときがあります。 タウコギは、ニホン、アジア全体、オーストラリア、ヨーロッパ、北アフリカに分布するそうです。 チカラシバ 土手いっぱいのチカラシバ(力芝)が午後の陽光を受けて、美しく輝いていました。 どこにでもある「雑草」で、すぐにはびこる厄介な草として嫌われるだけの存在。 でも、美しく見えるときがある、有用性をはなれて見ると、自然はいろいろな表情を見せてくれると思いました。 ![]() 自然は、人間のためにあるわけではない、当たり前のことですが。 しかし、人間は自然の懐の中に安らぐこともできます。 無用者の系譜につながる者だけが楽しむ世界があるかもしれません。 私はその端末のささやかな1つなら幸いです。 ありゃまの秋の空に ありゃあナンだ? なんだ、遊んでる。パラグライダは近くの山ではできないはずだが?・・と思ってみると、エンジン音が聞える。 ありゃ、もう一台・・。 軍用機やヘリコプターしか飛ばないこの空に、でも、いいかいいかあ。〜遊んでな。 と、私はまるでアリンコの気分で見上げていたのです。 「他人の空」に他人が飛んでいる・・・。どこに行くのかなんて思わないで、ただ、少しの間、空を見上げていました。 秋空にわれがぐんぐんぐんぐんと(高浜虚子) (02.10.09) |
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