じゅげむ通信
つくも・さとみのえっせい

つくも・さとみのエッセイ

もくじ  
 〈いのち〉
  
01 小さないのち
  02 奪われるいのち・失われるいのち
  03 宅間死刑囚の死刑執行
  04 暴力のこと
  05 死刑のこと → 以上のページリンク》》

  06 ふたたび、死刑のこと《《⇒前のページ》》追記あり
  07 <反日>に思う(⇒このページ)

▲ 「件」という妖怪の話 → リンク》》》
 「妖怪論」        → リンク》》》 

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06 (補)みたび、死刑のこと―復讐・敵討ち・リンチ(私刑)について―
 


07 <反日>に思うぜったい忘れられない

ニホンは自分の姿が見えない?
 最近(2005年4月)、中国、韓国で日本側が言う<反日>デモが起り、大使館や領事館、日本人が経営する店舗などが襲われ、多少の被害が出ているという。
 日本政府は、中国に謝罪と損害賠償を求め、中国政府は、何も謝るようなことはしていない、と主張。デモの過激化は政府の責任ではない、と。
 たとえば、上海の総領事館の壁は、一部こわれたり、青や赤のインクが投げつけられて、地味な現代美術を思わせる。私には、この地味さがデモ参加者とダブってイメージされる。
 笑い話だが、この建物をそのまま保存すればいい、などと「不謹慎」にも思う。歴史的な美術だ、と。

 日本政府は、近年とくに「国益」とか「愛国心」とかを喧伝するばかりでなく、尖閣諸島、海上油田、竹島、北方3島など、中国、韓国、ロシアなどと領有権で争い、さまざまな外交問題を引き起こしてきた。
 北朝鮮とは、拉致問題で、ニホン国内外の「感情問題」にするなという意見を押しつぶす。

 <反日>デモは、韓国でも行われている。

 さらに、政府と小泉首相は、靖国神社への参拝をつづけ、教科書の検定ではアジア侵略の歴史をカットし、捏造する。(扶桑社などに巣食う新国家主義者はいまだただの走狗にすぎない。)
 一方、国連の安保理・理事国入りを訴えているが、ドイツの戦争責任のとり方を参考にする気配もない。
 明らかに隣国の感情を逆なでしながら、都合のいいことばかりやっているのだ。
 だから、有権者はひややかで、政府に批判的である(「世論調査」としては意外なほどの結果だった)。

 さらに、歴史上はじめてと思える「韓流ブーム」は、止まることなく「おばさん」たちによって盛り上がる。このイノセントぶりは単なる無知ではない。だから、一方的な「愛国心」に結びつきにくいのだ。
 「おばさん」たちは知っている。

中国の、上海で
 ここでは、現在の政治状況を書くことが主題ではないので、本論に入りたい。
 私には忘れられない戦争と「中国」への出会いがある。

 「中国人というのは野蛮で、おかしな連中だ。」
と、今は亡き母が言った。母は若い頃の一時期、上海の親戚のもとで暮らしたことがあったのだ。
 「死刑にされたもんの血をパンに塗って食べる」…
 おどろくべき話だった。
 まだ小さかった私はやっと「ほんま?」か、と何度も聞きなおすだけでせい一杯だった記憶がある。

 ニホン人は、西洋に追いつくために、アジアを「野蛮」とみなし、「近代」化=西欧化と富国強兵、アジア侵略へと突き進んだ。
 その侵略・占領者のニホン人(の一人)である母は、ウソかまことかは知れないが、上海の人々を「そのように見ていた」のだ。
 この話は、ほかに解釈の仕方があるかも知れないが、私の記憶に強く残ったのは「何かある。できごとそのものが理解できない」という思いだった。(水滸伝や三国志は子ども向けの翻訳本で読んでいた。)
 やがて、魯迅などを通じていくらか中国とニホンとの関係も知っていった。

日本帝国主義からの解放
 そこで、得た解釈は、
 <公開処刑された人民解放軍の血をなめてまで、解放のたたかいを受け継ぐ意思表示の行為だった>
だろう、というものだった。おそらく間違ってはいない。
 そして、これに類するニホン軍国主義者たちの残虐な行為の事例がたくさんあることも知った。私はすでに自分で<反日>になっていた。面白いもので、私は、反米から反日になったのではない。その逆だった。

 この話は、むしろ中国人民の意志がはっきり示されていて、説得的なものだと思える。

 その上海で、いま<反日>デモが起きている。

 私の聞いた話と同じか、もっとひどい話や写真など証拠も残っているのだから、「知らない」ではぜったい済まされない。
 ときに、ぜったい忘れない、ということを「心に刻む」などと情緒化するが、それは、できたらしないほうがいい。

 すくなくとも、私は、母から聞いた話を、<わたしの反戦>の重要な根拠として自分の中に位置づけてきた。
 いつだったか母へも、その思いを伝えたが、老いた母は少し寂しそうに聞いてくれた。
 私の父は、銃後の「戦犯」で、公職追放になったのである。
 私の親や近親者は、戦争に行き、戦犯になり、銃後を担い、アジアの人々への偏見を抱き、死に、また被爆者ともなった。第二の母とも慕い、病弱な母にかわっていろいろ面倒を見てくれた姉は、若くして癌で亡くなった。いま、被爆者で生きている家族や親族はまったくいなくなった。

私自身の<反日>
 これが私自身の<反日>の根拠、その1つである。

 よくアメリカ人は好きだが、アメリカという国は嫌い(好きではない)といわれるように、私もまた、
「ニホンに住む人は好きな人が多いが、日本という国は嫌いだ」と断言したい。

 私には、戦死した多くの人々を断罪したいとは思わないが、少なくとも「神」として祀るような靖国神社への参拝は許せない。小泉が、戦争で亡くなった人々の御霊に「二度と戦争はしないと誓う」のなら、憲法を改悪などせず、おりに触れて積極的な平和外交をすればいい。
 それが、戦死者を利用せず、悲劇を繰り返さない唯一の方法だ。だが、政府・小泉にそんなつもりは最初からない。平気でウソをつくのである。とても信用できない、そんな首相を恥じる。

 哀れむべし。悲しむべし。(2005.04.19)

 実はこの話、ここだけでは終わらない。
 「恐怖」論からジョルジュ・バタイユまで話はつながる。

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