・去年今年 ・歳旦 ・年の暮れ ・正月元旦

私の歳時記 No.36

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歳旦(さいたん)



去年今年(こぞことし)


去年今年貫く棒の如きもの(虚子)

 去年今年という季題の句は、いまのところ虚子のこの一句に尽きると思います。
 虚子は、年月が一本の太い棒のようなものによって貫かれている、という時間感覚をズバリ形象化したのです。ただし、時間(的なもの)を「棒」と観るのはけっこうくだらない感もあります。

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年末年始(歳旦)

 
現在の(有季)俳句は、春夏秋冬に「新年」をくわえて1年を5つに分けているのが普通です。これは、旧(陰)暦では、正月を春(初春・春節)とした名残りの意味があるようです。
 また、「歳旦」として、年末から新年をひとくくりにすることができます。
 前のページにつづいて一茶の句を中心に、どうぞ。



歳の暮れ

ともかくもあなたまかせのとしの暮(一茶)

 いま、私も「あなたまかせ」で生きています。
 「あなたまかせ」とは自分を恃(たの)まないので、楽と言えば楽、難といえば難。
 凡夫には「まかせ」切れないこともしばしばで、そんな自分を嘆いても仕方ないこと・・などと思う大晦日。

喰て寝てことしも今よひ一夜哉(一茶)

 この句に「食う+寝る」+「遊ぶ」でかのバブル期を象徴するコピーができるのですが、日本人がほんとに「遊ぶ」ためにはまだまだはるかな道のりがつづきます。


正月元旦


目出度さもちう位也おらが春(一茶)

 次々に子どもを亡くした一茶が、「中くらい」のめでたさだと言うのは少し悲しいですね。
 しかし、正月なんて、いつでもどこでもそんなに目出度いわけはない、そこを一茶が句にしたと思うと彼の非凡さがわかります。

 「目出度い」のは、単に「めでたいことにする」という合意があるだけ。まあ、「社会」はそういう根も葉もない「合意」で動くものですかね。もっともそうした「合意」が、法律になれば人の行動をそれなりに規制します。


「ものしらず」.....若水

 写真下から2枚目は、いつも欠かさぬ水汲み場への広場。
 年末にだいぶん解けた雪に新しい足跡がつづいています。
 元日の朝汲む水を「若水」と呼び、男の役とされてきたそうです。
 しかし、年がら年中のこうした「忌み」ごとは、真宗門徒には根付かず、そのため「門徒忌み知らず」・・単に「門徒もの知らず」といわれるようになったとのこと。これは、ニホン仏教としてはきわめて根源的な生活様式です。

 そこで、正月の季語・季題は一般の歳時記におまかせして次は一月七日・人日まで飛びませう。


 元旦の日が雪を輝かせていました。

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