ありゃま通信 俳句の頁

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季語(夏)

(ほたる・ほうたる)・螢・蛍籠・蛍火・・
蛍袋(ほたるぶくろ) 追加 「蛍袋」下段↓


恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす(山家鳥虫歌)

蛍ほど多くのひとに愛された昆虫がいるだろうか。
いのち燃えるあかし、いのちのはかなさ、燃えるけれども熱をもたないその光り・・・。
<季語>は、このように、強いインパクトをもつ季節限定の「単語」である。
2005年、この地では蛍が余りに少なかった。この時季に雨が降らなかったからだろう。



蛍の句、まず女性作家の傑作をぬきだしてみよう。

蛍呼ぶ昔も今も同じ唄          星野 立子
素朴な感じの句だ。
「ほーほーほたる来い」という唄がすぐに浮ぶ。「いま」も同じだろうか・・

蛍籠昏ければ揺り炎えたたす      橋本多佳子
久女との出会いで俳句をはじめた。
蛍を「燃えたたす」と詠む多佳子の詩の激しさ。
師山口誓子は多佳子を「自らを激突させ、激突することによって強引に詩を奪取する方法」と評した。

蛍火の明滅滅の深かりき         細見 綾子
蛍に、蛍の火よりもその闇の深さを詠む。細見綾子の句のたしかさを思う。
蛍は、そのあかりによって闇を闇たらしめるのだ。

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜   桂  信子
桂信子の代表作。
和服(ゆかたかもしれないが)を、ゆるやかに着て、ひとと逢う・・
この感性は桂にして句にできたものといえる。20世紀俳句の代表作とわたしは思う。
ちなみに鈴木真砂女はその『真砂女の入門歳時記』の「蛍」で、この句を掲げている。

死なうかと囁かれしは蛍の夜      鈴木真砂女

『人悲します恋をして』には蛍の句が約10句ある。
真砂女は蛍の名句をこんなに残したのだった・・。(鈴木真砂女
中でこの句はよく親しまれた名句である。ある種、きわどい恋の句だ。
生と死のはなやぐ闇・・というよりも、死ということばが生きる強い意志を表現する。

蛍の夜老い放題に老いんとす      飯島 晴子

この句、蛍よりも「老い」を主題にしているとも言えそうだ。
蛍の夜に「老い放題に老い」てみせようという・・70歳の作品。
宇多喜代子はこう書いた。
<飯島晴子は、それまでの女性たちがまぬがれがたく纏ってきた「女流」という括弧をはずした最初の俳人として、俳句史の中に一本の杭を立てたのではないかと思われる・・>と。

じゃんけんで負けて蛍に生れたの    池田 澄子
この句を忘れちゃあいけなかった。現代の口語体で、「いとおかし」く作ってある。傑作だと思う。
この「蛍」観は、じゃんけんで「勝って」生れたわけではないのだから、蛍=マイナス・イメージであろう。
なぜ?あまりに「いのちはかない」から?(まるで演歌になっちゃう。)
でも、「・・の」と言ってるのは、作者?蛍自身?――どっちかというと蛍自身だろう。
いや、作者の人生観を蛍に仮託してるんだ・・。
などと思うと、蛍の情けなさそうな表情が浮ぶ。
それを作者は狙ったのだ。とは、少し言いすぎですか・・。

蛍狩うしろの闇へ寄りかかり     正木ゆう子

蛍籠吊るす踵を見られけり      西村 和子

2句とも比較的最近の作。
句を読む作者が、「他者」または「世界」との関係性を表現する<主体>として強く意識され、それがはっきりわかるように表現されている。


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蛍袋(ホタルブクロ)

 ←蛍袋の花

蛍袋は別名「釣鐘草」「提燈花」「風鈴草」とも呼ぶ。

夕風に蛍袋のひとかたまり     細見 綾子

下句を「ひとかたまり」と6字で、ぶっきらぼうに止めてあるところがいかにも細見綾子流と読むべきか。
それが面白い。

どどどどと蛍袋に蟻騒ぐぞ      金子 兜太

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蛍の句コレクション

蛍の句は、実に多くあります。さまざまな「歳時記」にはありえない、コレクションをこころみました。

山霧に蛍きりきり吹かれけり       臼田 亜浪

人殺す我かも知らず飛ぶ蛍       前田 普羅

蛍火や山のやうなる百姓家       富安 風生

蛍くさき人の手をかぐ夕あかり      室生 犀星

たましひのたとへば秋のほたるかな  飯田 蛇笏 (前詞)芥川龍之介の長逝を悼みて

国葬の夜を厨房のほたるかご      飯田 蛇笏

けふいちにち誰も来なかったほうたる  山頭火

親一人子一人蛍光りけり         久保田 万太郎

人のうへやがてわがうへ蛍とぶ     久保田 万太郎

蜩や鳴く方をいつも西と思ふ       山口 青邨

蝉鳴けり泉湧くより静かにて       水原 秋桜子

ほうたるや袂にひとつ得てかへる    及川 貞

蛍火を愛して口を開く人          永田 耕衣

死蛍に照らしをかける蛍かな       永田 耕衣

走り出て闇やはらかや蛍狩        中村 汀女

光洩るその手の蛍貰ひけり        中村 汀女

蛍獲て少年の指みどりなり         山口 誓子

流蛍の自力で水を離れ飛ぶ        山口 誓子 *「流蛍」りゅうけい

蛍火の極限の火は緑なる          山口 誓子

落蛍俯伏せのまま火を点す         山口 誓子

蛍の国よりありし夜の電話          星野 立子

あけがたやうすきひかりの蛍籠       大野 林火

蛍火となり鉄門を洩れ出でし         平畑 静塔

ゆく春やいつ棲み初めし耳の蝉       石塚 友二

蛍籠飛ぶ火落つる火にぎやかに       松本 たかし

蛍にも寝る刻ありて減りはじむ        山田 波津女

臥て身ゆるところに吊れよ蛍籠        安住 敦

蛍籠離別なくとも死別来む           安住 敦

太宰忌の蛍行きちがひ行きちがひ      石川 桂郎

ほたる火の冷たさをこそ火と言はめ      能村 登四郎

ほうたるの火と離れたき夜もあらむ      能村 登四郎

蛍籠われに安心あらしめよ           石田 波郷

指先にともりて蛍なまぐさき           清崎 敏郎

蛍火と水に映れる蛍火と             清崎 敏郎




俳句ノート

いい俳句をつくるためには、いい俳句を読むことがもっとも効果的ではないかとわたしは思う。
いい俳句は多い。それを記憶する必要はない。暗記こそ詩を、短歌を、俳句を「学ぶ」こととする勘違いから抜け出して、「たのしみ」として取り戻す必要があろう。
桂信子は、
<私が俳句を始めたのは、一口に言えば俳句を読むことが(詠むのではなく)好きだったからだと思う。>
と、「俳句と私」(『女性俳句の世界』巻頭随想)に書いている。
俳句は、読むのに長い集中と時間を必要としない。とぎれた時間を、何度でも重ねるような読み方ができる。それが他の「文学」と異なる特徴の一つといえる。(つづく)


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