■ 鈴木真砂女
羅や人悲します恋をして(羅=うすもの)
夏帯や一途といふは美しき
恋を得て蛍は草に沈みけり
死なうかと囁かれしは蛍の夜
今生のいまが倖せ衣被(衣被=きぬかつぎ)
<一途>・・・真砂女の恋の句
<生涯を恋にかけたる桜かな>
この句は真砂女最後の発表句という。
羅や細腰にして不逞なり
蛍火や女の道をふみはずし
夏帯や運切りひらき切りひらき
恋多き人生というより、その一途さこそこれらの句を作らせた、といわれる。
その恋の罪の意識がこれらの名句を生んだのだ。
真砂女は、1957(昭和32)年、銀座に「卯波」(うな)という小料理屋を開き、なくなるまでこれを営んだ。
生まれ育った千葉の海から「卯波」まで、海と生活感にあふれた句を作った。
ここでは、恋の句をおもに紹介した。
黛まどか『知っておきたいこの一句』に上記<夏帯や運>を、
大岡信『百人一句』は、
<春寒くこのわた塩に馴染みけり>
をとっている。
ここでは、やはり「恋の句」と前書きのある、
<野分中波にのまれてしまひたき>
も紹介しておきたい。
いよよ華やぐ
<年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり 岡本かの子>
この歌を冒頭にかかげた瀬戸内寂聴『いのち華やぐ』(1985〜86朝日新聞)は、かの子が西行の歌、
<年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 西行>
をふまえているだろうと書いた。(同著「命なりけり」)
そして、のちに『いよよ華やぐ』(1997〜初出・日本経済新聞)で、真砂女をモデルとした小説を書いた。
主人公・阿紗は91歳である。
その1節に「蛍」があって、寂聴は和泉式部の歌を引いている。
<ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづるたまかとぞみる 和泉式部>
ここに、瀬戸内寂聴が『いよよ華やぐ』に引用した句を抜き出してみた。(1999年新潮社刊より)
紅指して過去甦る初鏡
罪障のふかき寒紅濃かりけり
女三界に家なき雪のつもりけり
人のそしり知っての春の愁ひかな
白桃に人刺すごとく刃を入れて
羅や細腰にして不逞なり
死にし人別れし人や遠花火
(以上・上巻)
柚味噌練って忽然と来る死なるべし(ゆみそ)
卯月休日香典返しとどきけり
かのことは夢まぼろしか秋の蝶
限りある命よわれよ降る雪よ
(下巻)*本文中に「 」で引用されている句は、上掲「衣被」と
訣別にためらひはなし冬椿
がある。
引用してみればわずかである。
真砂女91歳からの一年を書いている。
怪物が怪物の評伝を書いたのだから、とやかくいうこともないが、ことに上巻の色恋沙汰や情事の連続にはいささか食傷気味になる。
本人が書けないことを書くという寂聴の方針かもしれないと思う。
やはり、俳句ならそこまで表現できないことが、散文で書き重ねられるとしんどい。すさまじいと言うほかない。
真砂女の蛍の句
真砂女の自句自解集『人悲します恋をして』には、上記のほか以下の句が収められている。
真砂女にとってこれら蛍の句は、恋と愛、生と死の独特の意義を持っているかのようだ。
死に急ぐなと蛍に水吹いて
とほのくは愛のみならず夕蛍
女一人目覚めてのぞく蛍籠
死ねぬ髪手に梳きあまる蛍かな
やがて闇の来ると蛍の光りだす
蛍籠見られて悪き手紙も来ず
蛍の死や三寸の籠の中(*ほうたる)
別に
蛍を越後童と共に持つ(*〃)
もある。全句集を調べればほかにもあるのかもしれない。
<女一人・・>の句に、
<蛍の頃は必ず蛍籠を吊す。いのちのはかないものなので、朝目覚めると籠を覗く。一匹が横たわっているとその朝は何んとなく心が暗い。>と書いている。
真砂女の句は、単に暗いのではなく、「深い闇が輝く」ような印象が強い。
真砂女は蛍が好きで、しかも蛍は真砂女俳句になくてはならぬ格別の季語でもあったのだろう。
■鈴木真砂女■プロフィル
1906(明治39)〜2003年(平成15)3月逝去。96歳。
1936年、30歳にして俳句をはじめた。亡き姉の影響だったという。
1948(昭和23)年に、「春燈」に所属、久保田万太郎、安住敦に師事した。
<真砂女さんは・・一米四十糎ほどの小柄できゃしゃな体の、どこにその精力があるのかと思うほど、しなやかで強い力がみなぎっている。六十年にも余る句作歴の中に、真砂女さんは自分の人生の喜憂のすべてを織りこんだ。二度の破れた結婚も、道ならぬ恋の切なさも、それにも勝る歓びも。>
真砂女91歳のとき、瀬戸内寂聴は「可愛い怪物」と題してこう書いた。(『人悲します恋をして』角川文庫)
このときの真砂女が『いよよ華やぐ』のモデル。
<私は欲がないから、ここまで来られたんですよ>
という真砂女の言葉が最後のほうに紹介されている。