ありゃま通信 俳句の頁

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●原爆  
2005.8.6new!
 
原爆・原爆忌・被爆・広島(忌)8.6・長崎(忌)8.9など


俳句にとって〈広島〉とは?

「俳句は批評である」という意見に私は同感する。

2005年夏、被爆60年を前にして、平和公園の中心におかれた記念碑が一人の右翼によって傷つけられた。
その碑には
「安らかに眠ってください
過ちはくりかえしませぬから」
と刻まれており、
その「過ち」という刻字をノミやハンマーを使って傷つけたのだ。(7/26-8/3応急措置修理)
右翼の男は、現在進行しているアジア太平洋戦争の正当化の潮流にのっただけである。
つまり、第2次世界戦争の日本帝国主義の侵略は、「過ち」ではなかった、と主張する権力の手先にすぎない。

あやまちはくりかえします秋の暮         三橋 敏雄

この句が、その事件ですぐに浮んだ。

あやまちは「あやまち」としてくりかえされるのではなく、新たに「正義」としてくりかえされる。
そのために歴史が改ざんされる。
この情緒的な碑文とその破壊という事件は、三橋のこの句によってすでに批判されていたのだ・・。

なお、最近「安らかに」と言うことに対して、被爆死者は決して「安らかに眠って」はいない、と言う主張が目立ちはじめた。いずれも、情緒的な解釈というべきだろう。

さらに、被爆体験の継承をめぐって、わかものたちが、
「被害」だけではなく「なぜ原爆が落とされることになったのか?」ということをおしえられてこなかった・・そのため、自分の問題と感じられないままできた・・
というようなことを語っていた。
まさに、私が感じてきたことだった。あまりに被害(意識)だけを語ることで失ってきたことは多い。

この「あやまち」とは何なのか?そのことがはっきりされるべきだろう。
あの惨劇は、たしかに、あまりにもひどい被害だったが、それは同時に戦争の被害である。
将来、核兵器を「使わない」使わせないためには、戦争をしないという選択肢しかありえない。
そして、いかなる戦争も犯罪であることを共通認識として継承していくことが不可欠だろう。

俳句は、〈広島=長崎の核爆弾被害〉という歴史に、どう向き合えるのか。
これまでの俳句作品の一部をご紹介する。

聖夜とやヒロシマ環礁実験図            中村 草田男

原爆忌いま地に接吻してはならぬ         中村 草田男

電工のいちにち高し原爆忌             秋元 不死男

広島や卵食ふ時口ひらく               西東 三鬼 ⇒〈〈卵〉〉

きりぎりすきのふのそらのきのこ雲        高屋 窓秋

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ       金子 兜太


犬一猫二われら三人被爆せず           金子 兜太

放射能雨むしろ明るし雑草と雀           鈴木 六林男

死の河の両岸現世鯉幟               沢木 欣一

夕凪ぎて原子禍の町音を絶つ           石原 八束

大虚無の空の明るき爆心地             大西 淳二

あさまだき原爆ドームしろがねに          大西 政司

(以下つづきます)


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