うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火)更新中

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うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火)

種田山頭火。1882(明治15)〜1940(昭和14)年。山口県に生。59歳。Taneda Santouka

後半生を、流浪・行乞、自由律俳句三昧に漂泊した。
 同時代を生きた尾崎放哉よりも、人口に膾炙し、愛好されている。荻原井泉水、尾崎放哉、山頭火、近年では住宅顕信ら、キラ星のごとき自由律俳人はとても魅力的である。

句は、昭和6(1931)年、50歳の作。ひらがなだけで表記されている。
 「自嘲」と呼ぶ行乞の旅に出たとき、
「熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ち着けなかった。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかり…」
 あるいは、大宰府での作として、
さんざん雨に濡れて参拝して帰宿した」(行乞記)
という前書きがあり、行乞する僧形のわが身をもう一つの我が見ている。
 そこに、「自嘲」とともに、甘い自己愛(自己執着)と逃避の心情がただよっているところに、かえって、この句の捨てがたい面白さがある。

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山頭火、すさまじき煩悩と短律俳句

 山頭火の俳句の軌跡を辿ると、それが、酒と転落と放浪のすさまじいばかりの人生によって生み出されたことが知られる。
 句は、おもに荻原井泉水が主宰する『層雲』に発表した。(この項つづく)

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参考文献
@「山頭火文庫」全12巻・別巻1巻・1990・春陽堂ほか多数