鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)

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鶏頭の十四五本もありぬべし

■正岡子規  1900(明治33)年の作。Masaoka Shiki

 1902年、わずか36歳にして早逝した子規(1867〜1902)晩年の傑作の一つ。

■病床から見る庭の鶏頭が(今年はいちだんと美しい)、ざっと十四五本もあるのだが、いまが盛りか…。

■「評価の点でまちまちであるが、単純化された表現の極地というべきもの」
とは、加藤楸邨の鑑賞である。注@

■子規の句中、いちばん好きな句。子規最高の名句!

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なぜ?評価が「まちまち」なのか?

 長塚節、斉藤茂吉らはこの句をおおいに評価し、「芭蕉でもなく蕪村でもない」俳人・子規をたかく評価した。
 他方、高浜虚子、河東碧梧桐らは、終生この句を無視し、たとえば虚子編岩波文庫版の『子規句集』2306句にも、この句は入れられていない。注A
 山本健吉は『現代俳句』で、茂吉を引用しつつ書いている。

 ――芭蕉には「鶏頭の十四五本もありぬべし」の味わいがわからない。
 そして、
 ――長塚節が茂吉に「この句がわかる俳人は今はいまい」などと言ったという。
と。
 さらに、山本健吉は「拒み通す心」と題して、この句を黙殺した虚子の心理分析ともいえる文を書いた。注B

軍閥といふことさへも知らざりしわれを思へば涙しながる(斉藤茂吉)

 のちに、大岡信はその『子規・虚子』の「病床・子規」に「鶏頭の十四五本も」という1節をもうけて、その辺の事情を書くとともに、「評価がまちまち」になる最大の理由は、下五の「ありぬべし」という言い方にひそむ「未完結性の印象」にあるだろうと書いた。
 さらに、その表現の根拠を、子規の内面、とくに前年の鶏頭の記憶に見出す。注C
 この二つの批評で、ほとんどこの句についての背景は理解できる。

好き嫌いをはなれて?

 私は、虚子が嫌いだ。嫌いだが、その句は評価するし、無視・黙殺もできない。
 権威主義が大嫌いだから、権威主義が嫌がるものを好きになる。
 だが、好き嫌いですべてが「運行」するなどという幻想ももってはいない。否、ものごとは、ほとんど「好き嫌いをはなれて」はこぶのである。
 少なくとも、虚子は、この句を嫌ったのではない。いわば畏れたと言うべきではないか。
 虚子は、その「拒み通す心」を指摘された。
 子規ではなく、虚子自身が「俳句の中興の祖」となるためには、敬愛する子規といえども踏みつけて通さなければならない…そんな、いやらしさが「大虚子」をつまらぬ方へみちびく。
 系列の弟子たちが、孫子の代までしたがう。
 これが「評価がまちまち」と言われる「無視の系列」が連綿として今なおつづいている理由である。

 したがって、この句はとくにそのように書かなければならないほど「評価がまちまち」なのではなく、つまらない事情で、名句と評価するものと、まったくふれようとしないものとが、あまりにもはっきりしている句なのである。

■やはり「鶏頭の十四五本」でなければ

 この句が論じられる中に、たとえば「鶏頭七八本もありぬべし」とやったり、「枯菊の十四五本もありぬべし」などとやってみたばかげた非難もあったらしい。山本健吉は書いている。

――現実の鶏頭を対象として、「七八本」と「十四五本」とどちらが美しいか較べるなぞは…ナンセンスである。――注A

 わたしも思う。この句があればこそ、「七八本」とか「四、五〇本」とか、はては枯れ菊などの「妄想」がうまれるのであって、それこそ健吉の言う「空論」に過ぎない。
 やはり、この句はこの句の通りでなければならない、とあらためて思う。

■「言語にとって美とはなにか」

 この句の「どこがいい」か?ということについて、最近出版された吉本隆明+笠原芳光の対話『思想とは何か』注Dで、面白いことが話されている。

笠原は、
――「十四、五本という言い方が極めて日本的で」それは「多義的な、ある意味で曖昧性というか、日本の詩歌の特徴」を表している――と言う。
 対して吉本は、
「「ありぬべし」というところが主観性を表し」「そこがこれを芸術にしている」と言う。

 私は、吉本隆明の方が的を得ていると思う。(「主観性」とは吉本隆明がその『言語美』で、「自己表出」と言ったことの「口語版」であろう。)

 「十四、五本」は「曖昧性」ではなく、ひとつのマス(かたまり)としてみた表現なので、とくに、子規の創造性を示すわけではないだろう。いいかえれば、それは日本的な「曖昧性」なのではなく、数を意図的に限定しない言語表現で、たとえばある任意の絵画作品がしばしば使う手法でもある。
 「ありぬべし」こそ、この句のいちばんのポイントである。しかもそれは、作者の状況も俳句の歴史もすべて集約された表現になっている。
 子規の句としては最大の傑作の一つだ。(この項は、blogからの再録)

■子規の視座

 子規は、「鶏頭の十四五本」の翌年(1901)、短歌連作「藤の花十首」をつくった。中に、

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり (瓶=かめ)

がある。
 この歌、作者が活けられてある藤の花を、立って見ているのでないことはすぐわかるが、たまたま、座っていたり、かがみこんで見たり、寝ころんでいる視座でもない。病床に常臥していた子規が新たに発見した視座がある。
 その視座のあざやかさが「実にいい歌」(斉藤茂吉)のゆえんであろう。
 これを読みきったのは、安東次男「子規の写生」(『花づとめ』)であった。注E

 ――子規は...「墨汁一滴」に...「室中のいろいろのものに眼を配るといふ法」には変わりはないが、この連作では「左から見、右から見、立って見、坐って見といふのと幾らか違い、物象を眼を移して見るといふ方法をも採ってゐる」と書いている。――

 思うに、子規は実際にも鶏頭を数えてみたのかも知れない。数えたうえで、だいたい「十四五本」と表現するにいたる、その病床の視座は、「あるがままに写生する」などというタダモノ主義(クソリアリズム)にとらわれてはいなかった。「十四五本」でなければ「ありぬべし」とはならない、と私は思う。
 安東は、つづけてこう書いた。

 ――客観的な写生ということばに近代詩歌はずいぶん迷わされてきたが、そんなものはどこにもないのである。すでに子規自身がそれに気付いている。――
 同じことが、「鶏頭の十四五本」にも言える、と。

問答

 子規の句で、もう一句、とりあげるなら、

 いくたびも雪の深さを尋ねけり

をあげたい。
 これまた、寝たきりの病床にある子規を前提としなければ理解が難しい句だ。
 子規が、妹・律に問い、そのたびに、律は雪の深さを答える。

 俳句が、そのような背景を理解しないと鑑賞がむつかしい短詩だということを認めておく必要がある。
 この句の「問答」の形式を露骨に書いたのが、虚子の
  初蝶来(はつちょう・く)何色と問ふ黄と答ふ(高浜虚子)
ではないかとわたしはひそかに思ってきた。虚子は、問答そのものを句に仕立てた。「珍しい技巧」(加藤楸邨)というよりも、たくみな換骨奪胎…。虚子の脳裡に子規の句がなかったことはありえないだろう。

 虚子が、私においては、たとえ「反面教師」であろうと、「いくたびも」俳句について教えてくれる存在にまちがいない。

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[注]
1 『日本の詩歌3』1969
2 山本健一『現代俳句』(小林恭二編「俳句とは何か」)
3 〃「拒み通す心」(金子兜太編『日本の名随筆・俳句』)
4 大岡信『子規・虚子』

5 吉本隆明+笠原芳光の対話『思想とは何か』春秋社2006
6 安東次男「子規の写生」(『花づとめ』)

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