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■<老い>A・・・富安風生の場合
(1)『若葉年刊句集・第二集』から
喜寿の賀を素直に受けて老の春 昭和35(1960)年
命うらら喜寿より見れば古稀若し 昭和36(1961)年
喜寿われにひしひし淋し花野径 〃
菜を間引く直ることなき老の腰 〃
むさぼりて椿寿七十八の春 昭和37(1962)年
古稀遠く喜寿さへ超えし年酒酌む 〃
勝負せずして七十九年老の春 昭和38(1963)年
老の寝の姿勢を正す虫時雨 〃
生きることやうやく楽し老の春 昭和39(1964)年
(数えて八十一歳の春を迎ふ)
為し得ること何をか残す老の春 昭和40(1970)年
一秒音カチリと八十二齢の春 昭和41(1971)年
八十に三をかさねし年の花 昭和42(1972)年
牡丹に彳ちて鳩寿を愛しけり 〃
(2)他の句集から
うれしさとやや淋しさと老の春 (『傘寿以後』)
死ぬまでは生きねばならぬ手毬手に (『米寿以前』)
初渚ふみて齢を愛しけり (『齢愛し』)
富安風生の<老>の句
冨安 風生 Tomiyasu Huusei 明治18年〜昭和54年(1885〜1979)
はじめに13句を『若葉年刊句集・第二集』から、として抜き出したものは、その巻頭、風生41句からであって、ここには他にも同じようなテーマの句が並んでいる。
ことにこの「年刊句集」では<老>を意識的に主題にしている。
私は、不勉強にして、ここまで直截に<老い>を句に詠みつづけた人を知らない。
なかでも、
生きることやうやく楽し老の春
という句は、風生80歳のときのもの。このように詠める風生という人に興味を抱かずにはおられない。
この「いい句好きな句」のテーマには、最初から、<老い>は私の主題であった。ただ、俳句が<老い>の文学だ、というような切り取り方もされる中で、どのような選句をするか見当もつかなかったのがほんとうのところ。
そこで、この句とのめぐりあいは、「ひょっとすれば」というわずかな方向を示してくれた。
これまで、私に直接、冨安風生の名を話してくれた人が2人あった。一人は、職場が同じであったのに、まさかその人が俳句について話す人とは思いもしない人だった。もう一人は、古くからの先輩で父親が俳人だったから、かなり遅くなって私と同じ頃俳句を始めた人、Aさんである。
このように、富安風生その人の俳句に出会ったのは、このような私にとってまことに偶然なできごとであった。
風生俳句との出会い
私は「ホトトギス」系の俳句を好きではない。虚子などのすぐれた俳句作家を無視することなどできないが、「ホトトギス」が二流、三流になると俳句それ自体がきわめて限定された内容・形式にとらわれてしまう(二流、三流などとは失礼だが、私は自身を「流」外と自認している。まあ五流ていど)。定型、約束事が、桎梏となり、創造性を奪ってしまう。
現在の多くの「ホトトギス」系俳句の会は実に悲惨な状況にある、と外側からは見えるのだ。
その「ホトトギス」俳句の中で、風生は地味な存在に見える。
まさをなる空よりしだれざくらかな(風生・以下同じ)
蛍火や山のやうなる百姓家
菜の花といふ平凡を愛しけり
白といふ厚さをもって朴開く
きちきちといはねばとべぬあはれなり
こんな地味な、しかしいずれも名句を残している。
私は、冨安風生の分厚な『全句集』をもっている。上に書いたAさんの亡き御父さんの遺品である。ほかに数冊の風生の著書もすべてAさんから送っていただいた。故人は、風生に学ばれていたようだ。
Aさんは、私の数少ない恩人(私は「恩」をきることが少ないから)の一人で、この人がなければ俳句は始めなかったかもしれないし、その前に、いま私がこうして生きてあることさえ疑わしい。そういう人なのである。
そのお父さんの作品がさきの「年刊句集」にも収録されている。なかの三句。
*
潮鳴という俳人
初御空鍋鶴にして渡りけり(三宅潮鳴)
田鶴遊ぶ畦道ひろひ初詣
恵方なる嶺わたりゆく田鶴の棹
潮鳴さんは、徳山の人で、八代の鍋鶴を生涯の俳句の主題に定めて、作句されたそうだ。
俳句は、いざその世界に入ってみれば、広く深いものであり、それは際限もないし、「怖い」ことでもある、ということを早くに理解されての「頑固な」ほどの自制がうかがえる。
ほかの選句集でも風生句は読むが、全句集はあまりに膨大で開いては見るものの拾い読みさえ難しい。
しかし、冒頭の句にあるように、風生はテーマや対象に対してまことに「素直」に向き合う。
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↑八代から引く鶴を掲載した新聞
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風生の「素直」
喜寿の賀を素直に受けて老の春
「素直」とは普通、大した意味もなく、悪い場合には、ただ従順さを求める言葉として使われる。
しかし、何事かに向き合うとき「素直」であることは難しい。
しかも、俳句を作るというようなものはどこか屈折していて、素直ではない。
だから、少なくともここでは、いや風生においては、「素直」とはある種の才能であり、俳句文学の水準であり、表現の方法でもある。私などにマネのできることでもない。
<老い>ることが、身体だけではなく、考え方や関係のとり方、自己表現の仕方をも「まるく」するわけではない。
老いは身体さえも丸くしない。固くするのである。身体がやわらかさやしなやかさを失う・・そう、きのうできたことが今日はできなくなる。そうして、否応なく〈老い〉はさし迫ってくるのである。
老いれば「人が変わる」というのは、妄執が深くなり、とらわれが強くなると自覚した方がいい。
だからこそ、風生の素直は、そのような老いへのこだわりを逆向きに受け止めようとする。
風生俳句を支持できる理由がここにもある。
風生と死の話して涼しさよ(高浜虚子)
(2006.3.記)
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